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蓮華寺本堂ご本尊;弥勒菩薩立像300年祭

藤堂(高虎)家➡栃尾(源左衛門)家➡蓮華寺の三角関係❗

藤堂家と栃尾家は、高虎公が但馬平均の際に共に命をかけた猛将で、主従関係にあるも絶対の信頼をおいていた。高虎公の正室・久芳院は、源左衛門の推薦により婚姻。仲人は、もちろん源左衛門🎵 高虎が中国・九州攻めの際は、久芳院と父虎高を源左衛門屋敷に預けたり、秀吉大坂城築城工事の際は見舞い訪問、高虎公和歌山の知行地猿岡山城築城の際は、源左衛門を案内役とし、但馬栃尾谷城居館を解体し、その材と共に正室・父虎高などを引き連れ粉河へ送り届ける。そして、栃尾谷城の一切を高虎公➡居相孫作➡栃尾源左衛門に預けた。この城は、今も田和城・権現山城として市の記録に残る。左記の城は、市の都合で調査した箇所のみをそれぞれ城と命名した為、栃尾谷城の存在は学術的には無い状態です。このような結果を招いたのは、調査決定機関が連結しない曲輪の存在を無視したことと、史実文献の利用方法に無知であった事にある。ついでに近隣の調査でも曲輪の連結しない一山城が三つに分断され、それぞれに何々城となっていたり、典型的な布陣跡の遺構にまで、◯◯城とか・・・。 余談はさておき、栃尾家と蓮華寺の関係は菩提寺。蓮華寺と藤堂家の関係は、高虎公の屋敷の跡に復興された寺院。詳しくは、御朱印の寺歴史の栞にまとめてあります。

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